山崎
そうそう。2005年です。
大久保
その最初に組んだ"フラメンコギャラロー"は2004年に解散するの。
解散してすぐメンバーのドラムのキック貝田を誘ってFuttongを結成、2005年に初ライヴするの。
山崎
だから同時期ですよね。私は2005年にお店作ったから。
大久保
みやこさんってその前は全然関係ない仕事してたんでしょ?
山崎
そうです。私は見切り発車で、ミュージシャンの知り合いもほとんどいないまま始めちゃったから、最初かなり苦戦したんですよ。
大久保
普通独立って、まずはそういう関係の仕事を何年かして、ある程度実績をつくった後に自分で会社を立ち上げる際に顧客をスライドさせるんだよ。
前のとこから引っ張ってきちゃう。
そういったコネクションや実績がなく音楽が好きってだけで始めるのはすごいよね。
やる人もいると思うんだけど、普通は辞めていくよ。よくまぁ、10年もったよね。
山崎
ほんとほんと。5組くらいしかミュージシャンの友達いなかったから、やり始めてから真っ青になった。こういうことか、って。
それで、色んな人に良いミュージシャンいたら教えてって言ってたんです。
そしたら、ギター侍さんっていうネクストの初期から出演してくれている方が「すごい良い人見つけたから、一緒にライヴ行こう。」って誘ってくれて、そこで歌ってたのが大久保さん。ギター侍さんは音楽の趣味がすごく合ってたし、お勧めしてくれる人はハズレが無かったから、すぐ観に行って。渋谷のガビガビでしたよね。
大久保
そうそう。ガビガビね。あれが出会いだよね。
ちょっと、BGMを大瀧詠一さんに。
山崎
良いですねぇ。急にきゅんときた。
大久保
最近、新しい音楽あまり聴いてなかったんだけど、 加藤さんがきっかけで大瀧詠一を聴くようになったの。
全アイテムを端から聴いてて。面白いなって。
山崎
全アイテムって言ったら相当な量ありますね。
大久保
相当だよ、ほんとに。
山崎
加藤さんに貸してもらうまではあまり聴いてなかったんですか?
大久保
いや、もちろんはっぴいえんども好きだし聴いてたけど、「ロングバケーション」とかあの辺は好きじゃなかった。
ファーストアルバム?は良く聴いてた。
僕は音で言うと、70年代のデットな感じの生々しい音が好きだから。
80年代のあの人工的なエコー処理された音は全然ぴんとこない。
そういえば大瀧詠一は生前、毎年お正月に山下達郎のラジオ番組で対談するんだけどこれが本当に楽しい。
最近、それを聞きながら寝るの。子守唄。とっても幸せな気分になれる。じじいになってもこんなに音楽が好きで、アホみたいに音楽の話してて、知識もあるし、探究心もあって、良い大人だな、最高だなと思う。
山崎
私の周りでは、大久保さんは特に年を重ねた今でも貪欲に聴いてるイメージがあります。
大久保
まぁ、ミーハーなんでしょうね。今の若い人たちのやる音楽とか興味あるじゃん。
山崎
最近の山下達郎さんのアルバムとかはどうなんですか?
大久保
いやあ…聴かないしあまりピンとこない…。
山崎
でも山下達郎カバーバンド、やってるんですよね(笑)。
大久保
カバーバンドやってるけどね。
ただ、山下達郎の音楽家としての佇まい、ポリシー、考え方はすごく共感する。
とっても好き。だから人間が好き。あとね、山下達郎はライヴがすごいよ。
山崎
私、チケット挑戦しても取れないんですよ。
大久保
おれ、来週行くんだよ。加藤さんがチケット二枚持っていて。
山崎
加藤さん、私を誘ってくれたらよかったのに、、、
大久保
山下達郎ってラジオでライヴ音源をバンバン出してるんだけど、根っこはロックンローラーなんだなって思う。
山崎
今でもあの声のまま?
大久保
そう、あのまま。すごいよね。声量を維持するためにそこまでストイックに努力してないんだって。そういうところも好き。
山崎
喋り声がいいですよね。高校生の時、ラジオで「サンデーソングブック」聴いてたんですけど、話す声がすごく良かった。
大久保
ちなみに加藤さん、全部録音して持ってるからね。
山崎
加藤さん、すごい。すごいなぁ。
山崎
ライヴは来週の達郎さんが久々ですか?
大久保
そう、僕は全然ライヴとか行かないから。一時期、髭だけはよく行ってたけど。刺激になるから行きたいなって思うんだけど。ザゼンボーイズとかゆらゆら帝国も行ってたかな。
山崎
女性ボーカルは全然聴かないんですか?
大久保
そうだね、あんまり。僕は音楽聴くときに歌う人を自分に置き換える癖があるから、あんまり女性は聴かないの。
海外ならジョニ・ミッチェルとか、カサンドラ・ウィルソンとか好きだけど。
山崎
そう思うと、女性の場合はかなりしっとりした曲の感じの方ですね。
大久保
人間は激しい人たちだけどね。
山崎
人間的にも魅力を感じてる部分があるんですか?
大久保
そう。やっぱり賢くて聡明な人が好き。そう言われてみると日本の女性は聴かないねぇ。
あっ、でも東京事変のバンドの在り方、曲のアレンジとかはすごく参考にした。
めっちゃカッコいいなって思って。
山崎
一度だけ行きました、東京事変。完全にshowで素晴らしかった。
大久保
それは椎名林檎がshowにしないと歌う気にならないからだと思う。
椎名林檎が曲を作っていない「娯楽」と「スポーツ」っていうアルバムが本当に好きでかなり聴いたなぁ。
山崎
今は日本のアーティスとも聴くんですね。
大久保
洋楽一辺倒なのは大学4年の時に終わったの。イカ天見てたってのもあるけどね。
大学4年生の時に音楽サークルの先輩がユニコーンの「ヒゲとボイン」を聴かせてくれるの。
名前だけ知ってたけど、バンドブームのバンドの一つに過ぎないと思ってたし、何にも興味なかったの。
んで「ヒゲとボイン」を聴いたら、ELOのオマージュみたいな曲が何曲かあって、こんなことやってるんだってイメージ違うからびっくりした。
あと、奥田民生の声が僕に近くて。
どういう声かって言うと、高低の差があまり感じられなくて、抑揚のない声、AM声って言うんだけど。
そういう人がまさに洋楽エッセンスの曲を日本語の歌詞で自然にやってて、あぁ、こんな人いるんだって思ったの。
僕は洋楽ずっと好きだったし、日本語はダサいと思ってたから。
山崎
自分の声をちゃんと理解しているのがすごい。
大久保さんは初のオリジナル曲は日本語で詩を書いたんですか?
大久保
うん。僕がオリジナルをやろうと思った時には、既にスピッツとかウルフルズとかPlaguesとか、洋楽的なメロディと演奏に自然に日本語をのせてるバンドがメジャーで活躍していた。あっ出来るんだって思った。スピッツの初期の歌詞とかはシュールで好きだった。
ずっと洋楽を聴いてたから、歌詞に意味を持たせるのが嫌だったんだけど、フランスから戻ってきて、中村一義を聴いて、こういう歌詞を求めてた!って思ったの。
山崎
戻って来てからが初のオリジナル?
大久保
フランスにいた時に松田聖子とか好きなおねえっぽい男の子がいて。
自分も女だったらアイドルになりたかったって言ってて。じゃあ、歌詞書いてくれたら、曲作るよって言ったの。そしたら本当に歌詞書いてきたのでつくったの。それが最初。「どっきんマイラヴ」って曲。
山崎
(笑)。人の歌詞で作ったのが初なんですね。
大久保
そしたら彼が凄い喜んじゃって、どんどんバンバン歌詞を書いてはFAXで送ってくるの。それで30曲くらい作った。
山崎
すごい数!それは何で作ったんですか?ギター持って行ってたの?
大久保
向こうでギター買ったの。だから僕は歌詞をもらえればなんだって曲に出来る技術をフランスで身ににつけた。
自分が歌う為に初めて作った曲は「会いに行こう」って歌。初めて宅録したのもその歌。
山崎
初めて自分が歌う用ってなると、やっぱり歌詞に思いはこもってるんですか。
「会いに行こう」って誰に会いに行くんですか?
大久保
そりゃ恋人でしょ。
山崎
あっ、そしたら思いがあったんですね。
大久保
作ってたらたまたまそういう歌詞になったって感じ。26歳くらいかなぁ。
山崎
最初と言いつつも、30曲くらいは作ってたんですものね。
大久保
そうそう。洋楽をずっと聴いてたから、とにかくクサい歌詞を書くのが嫌なの。
歌詞を書く時はいかに鳥肌がたつような言い回しを回避するかしか考えてなかった。
山崎
かといって、大久保さんの詩はあまりおちゃらけたことも書いてないですよね。
大久保
それはね、僕が真面目な人間だから(笑)。
山崎
意味を感じる詩ですものね。
大久保
そうなっちゃうの。
山崎
耳辺りが良い言葉を当てはめていくんですか?
大久保
そうそう。あとね、すごく影響を受けた詩人がいて。建畠晢さんって現代詩の人なんだけど。
その人に物凄く影響を受けてる。訳のわからない単語を連ねてるんだけど、なんか熱いんだよ。
山崎
へぇ、そうなんだ。大久保さん、詩にに興味ないないっていつも言うけど、すごく印象に残る言葉が散りばめられてるんですよね。
大久保
うーん、本当はもっとキャッチーにした方がいいと思うけど。自分でいうのもなんだけど(笑)。
あと僕ね、邦楽とか聴いてても全く意味が入ってこないの。病気なのかなってくらい。
例えば、愛してるだったら、「あ」と「い」と「し」と「て」と「る」が聴こえてくるってだけ。
山崎
それ、意外と私の仲良しのミュージシャンの方に多いんですよ。
大久保
えっそうなの???ずっと洋楽聴いてから、歌詞って意味がないものって脳に焼付けられてるのかな。
だから妙に歌詞にストーリー性を持たせる人、ドリカムとかさ、全く聴けないの。
山崎
もし聴いたとしても、この詩はどうだったっていう感想すらないってことですよね。
聴こえてないんですものね。
大久保
そう。でも自分がオリジナルバンドをやるようになって痛感したのはみんなすげぇ歌詞をきくってこと。
山崎
うんうん、聴いてますね。
大久保
あの歌詞のあの部分が好き、とか言われてさ。えっそんな聴き方すんの、みたいな。
山崎
逆に私みたいに音楽を全くやっていない人間から言わせると、ボーカルの存在って本当に大きくて。私はライヴハウスを始める以前は、ボーカルの声と歌ってる内容以外の音ってそこまで聴こえてなかったんですよ。
大久保
音の解釈って様々だけど、言葉の意味って一個だから、まずはそこに引っ張られるんだよね。
山崎
そうですね。だからお店を始めてから、ひとつひとつの楽器の音とか、楽器だけじゃなくて「間の音」みたいなものもちゃんと聴こえるようになりました。
だから、もしかしてミュージシャンの方って、ある時はすごく大変なのかもって思ったこともあったんです。
お店をやる前に聴こえなかった音が、お店を始めてどんどん聴こえるようになってくると、最初は疲れちゃって。
前の方が幸せな聴き方出来てたかもって。
大久保
うんうん、なるほどね。すごくよくわかる。
山崎
今はこういう聴き方が出来るようになって幸せだなって思うんです。
単純に知らなかったんだなって。
大久保
うん、知らない人が多いんだよ。だから歌詞に重きを置くバンドがカリスマになるんだよ。それはブルーハーツとかさ、歌詞に圧倒的な力を持つ人たちなんだけど。それによってヒロトは苦しめられるんだよ。ヒロトが言ってたけど「自分はずっと過大評価に悩まされた30年だった。ただの音楽好きなのに、たまたま自分が放った言葉がこんなことになってしまった。それをなんとか人に忘れられるために音楽をやってるようなものだ。」って。
山崎
たしかに私も中学生の時はヒロトの歌詞をノートに書いたりしてましたね。
今、お店でたくさんの音楽と出会って、楽しい聴き方がわかってきたというか、以前よりもっと感じることが出来るようになって幸せを感じています。
私はFuttongのライヴが本当に好きなんです。
最初は音量がすごく大きいのかと思ったんですけど、そうでなくて、音の重なり方がすごくて、ステージ上でまとまって、ぐわーんとものすごい感じで客席に届くんですよ。Futtongのあの音の届き方はすごい。気持ち良さが突き抜けています。
今回、共同企画という形で、大久保さんに出演者さんの候補をあげてもらって、その方々をお呼びする形での開催をお願いしたのですが、どんなポイントで選んでくださったんですか?
大久保
まず第一にネクストサンデーで共演させたもらったことのある方達から選んだの。
富山さんは、以前弾き語りされてる時にご一緒したんだけど、僕にはない、というか通って来なかったバックボーンで音楽作っていて新鮮でしかもめっちゃうまい!その時に「トッドラングレンとか好きですか?私好きなんです」って話してて。それが印象的で、バンドで演奏してる音源聴いたらとってもよかった!どこにも寄っていない不思議なスリーピースのサウンドなんだよね。
金字塔は今年イベントで対バンさせてもらったんだけど、ファンクとかアシッドジャズ系を熱く演奏しているところが好き。90年代にアシッドジャズっていうジャンル?レーベルが一時流行って。あとそれこそ渋谷系とかね。あの手の人たちって音源で聴くとクールなんだけど大抵ライブは熱いのよ。あれはね、おすまし顔で演奏するもんじゃないの。下品に熱く演奏しないといけない。
金字塔はそれをちゃんと理解してプレイしていてとてもかっこよかった!
もうひとつ、本当はHIPHOPを生バンドでやっているバンドも出てほしかったんだけどそれは叶わず、そこのメンバーさんから推薦いただいたのがシマシマエレクトリック。音源聴いたらやばかった。これは楽しみです!僕の好きな坂本慎太郎さんのレーベルZELONE RECORDのアーティストみたいなイメージ。
それと最後にFENOMENO。Futtongとは結成当初から仲のいいバンドなんだけどボーカル・ギターのタカハシ君が右ひじを骨折してそこからバンド活動が休止してしまったんだよね。
そろそろ復活だろ!と思って無理やり出しました(笑)Futtong全面サポートのもと、復活ライブをします!タカハシ君、泣いちゃうかもね。
僕はみやこさんに共演したいバンドを伝えただけで、何もしていないに等しいんだけど、基準としては、僕が客で最初から最後までこのラインナップだったら楽しい日曜を過ごせそうだなっていう。
それこそ「ファンタスティックな夜だぜ」なひとときを過ごしていただけるんではないだろうかと。
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大久保欽哉 プロフィール

1972年 東京生まれ。
1985年 小金井市立第三小学校を卒業。小学校時代は担任の先生(全員女性)に恵まれず不遇な6年間を過ごす。
お陰で今に至るまでヒステリック、感情的、すぐに手が出る女性を極端に嫌うようになる。
1988年 小金井市立緑中学校を卒業。先輩には中山美穂、元おにゃんこクラブの生稲晃子がいる。
小学校時代とは打って変わって若い先生が多い環境の中、すくすくと育つ。
1988年 立教高校に入学。初めてのバンド体験は高校一年生。初ライブは高校二年生。全く勉強をしなくなる。
1991年 立教大学に入学。音楽サークルに入り、バンド活動にどっぷりと浸かる。ほとんど授業に出なくなる。
1996年 就職回避の逃げ口上でフランスへ2年留学。
1999年 初のオリジナルバンド、フラメンゴ・ギャラローを結成。新宿、渋谷を中心にライブ活動を行う。自主制作盤としてミニアルバム「FG」をリリース。
2004年 フラメンゴ・ギャラロー解散、同年にFuttongを結成。三軒茶屋を中心にライブ活動を行う。2015年現在まで6枚の音源をリリース。
2010年 勤めていた会社から不当解雇(しかも即日解雇)される。仲間と共に美術&デザインの会社「八犬堂」を立ち上げる。この年から1年、ワンマンライブを中心に活動を行う。
2013年 mueと共にfuttong&mueを結成、ワンマンライブを2回行う。「Timeless Sounds」をリリース。
2014年 山下達郎カバーバンド「Dr.カトー診療所」に加入。カバーバンドは大学生以来となる。
2015年 後厄も終わり、これからが大久保の黄金伝説が始まるんじゃないかと思っている。でも、お酒を控えなきゃなと思っている。

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