佐々木
それがまぁ、なんと。いざ蓋を開けてみたら。
山崎
ねぇ。幸運にも、というか。
ここの物件、入った時にぴんときたっていうのもあるけど。
実際、不動産の人にも断られたの。音楽はダメですって。
阿佐ヶ谷だし、みんな静かに暮らしてるから、ライヴハウスなら貸せないって言われたの。
でも、「私は本当にゆったりと静かな音楽が好きなんです。」ってことを言い張って、無理やりOKもらったの。今じゃ、がんがんドラム叩いてるけど。
佐々木
ドラムがんがんっていうか… いいですか皆さん、ここダモ鈴木とか出てますからね(笑)。ひどいですねこの店長さんは(笑)。
山崎
(笑)。まぁ、粘ればね、なんとかなったりするんだよね。
佐々木
(笑)。しかしほんとそこのね、人柄力っていうか。それは大きいですよ。
みやちはね、根はめっちゃ過激で、見た目のほんわかふわふわとは違って、超絶負けず嫌い、野心家、実は過激なアクティヴィスト、行動の人なの。
でもコーティングされてる部分がゆるふわ過ぎて。
だからね、逆に、一番危ない感じ。
超まろやかな物腰で、超過激に自分のやりたいことを徹底的に押し通すっていう。
山崎
やだーー(笑)。
佐々木
俺なんて、北風と太陽で言えば完全に北風の人だからね。だから相手も結局、嫌な気持ちになっちゃって、うまくいかないみたいな。
それをね、“いやいや人との交わりというのはそうじゃなくてこうやるんですよ”っていうのを、ものすごく目の当たりにしてきたね。
この人やべぇ、一番とんがってるわって。
あっ、甘酒おかわりください。
山崎
はい。 私、とんがってる?(笑)。
そうそう、まず、オープンするに当たり、音響さんと二人でやってみようと思って、悩んだ末にたいさんを誘うの。ただ、PAさんといっても基本は接客業だから、たいさん無理かな、どうかな?ってかなり悩んだんだけど、これだけの音楽の知識、機材の知識がある知り合いって他にいなかったから。
それで、たいさんも迷った末にOKくれるんだよね。
佐々木
うん、ちょっと迷ったね、やっぱり。接客業、もうどうなのかな?(笑)っていうのもあったし、元々自分の嗜好で言えばやっぱテクノロジーを使った音楽が好きだったから、それは俺も演者さんもどちらにとっても幸福じゃないんじゃないか?とかも思って。
山崎
それでもやってみるって言ってくれたんだよね。それで機材とかは全部、たいさんに選別をお任せしたの。
佐々木
最初はこの人が、街角の簡易イベントなんかで使うような、BOSEとかの小さいスピーカーでいいんじゃない?みたいなことを言ってて。
いやいやこの規模で鳴らすなら、ちゃんとしたアンプ、ちゃんとしたスピーカーで、卓もしっかりしたものが必要でしょって言って。予算でいったら、最初の何十倍って感じで組んで。
山崎
そう、私が本当に色んな方から意見を聞いて「こんな感じでいいんじゃない。」っていうのを真に受けて。メモってたいさんに伝えたのは全部却下された。今となってはたいさんに任せて本当に良かった。
佐々木
俺だけの知恵でもなくて、すごい現場のプロの人に相談とかもしたけどね。で、そんなこんなで営業開始したけどトーゼン最初は全然埋まってなくて。 しばらく、カレンダー真っ白だったよね。申し込みこないね?って。
山崎
うん、全然。だって、5組くらいしかミュージシャンの友達居ないのに、ライヴハウス始めちゃったから(笑)。これはえらいことになったと思った。メールの受信ボタンを何度も押してた。
佐々木
そう、だから最初はグランドピアノの写真撮ったりなんかして。フライヤー作ったり。
そもそも、申し込みを待つもんじゃなくて、こちらから「出ませんか?」と営業をかけるのが普通なんだっていうのを知ったのが、何年か経ったあとだったよね(笑)。 それがなんかね、ある時から急に埋まりだした。あれは何だったの。
山崎
何もない日は私が一人でバー営業をしていて。最初の方にぱらぱら出てくれた方々が、よく飲みに来てくれていたんだけど。そういう方々がいろんな方に紹介してくれたり、助けてくれて。
今も覚えてるのが、ずっとお世話になっている、びゃっきーっていう、ピアノ弾き語りの男性がいるんだけど。
びゃっきーがちょこちょこバーに来てくれるようになった時に「この店大丈夫かっ本当に!なにそんなのんきな顔してんの!俺は本当に心配だよ!」って(笑)。
佐々木
ははは(笑)。びゃっきーさんね。彼もいわゆるエリートサラリーマンで、後に独立起業するくらいの人だから、ビジネス的な視点をめっちゃ持ってたんだろうね。この店、やばすぎるぞ!っていう。「わりと好きだし、ほっとけないぞ!」という。
山崎
そうよね。そういう人がいっぱい増えてきて、色んな方々を誘って来てくれたの。
それが膨らんだって感じかなぁ。本当にみなさんのおかげです。
佐々木
なるへそ。
山崎
でも本当に、例えば問い合わせのメールが来ても用語も全然わからないし、一個一個調べたり、大変だった。
佐々木
それね。オープンしてしばらくの間、"返し"(モニターの音量)の意味すら解ってなかったくらいだもんね。
山崎
そう、何もかも全然解らなくて。
セッティングの詳細とかくるじゃない。"pf/vo"って。pfってなに?って思って(笑)。
本当に何にも解らなかったし、大混乱だった。
佐々木
俺、エアーとラインの違いをすげぇ説明した記憶がある。そもそもDIとはなんぞや、みたいな。
でもそれって、やってる人にも難しいんだよね。DIなんてとりあえず差しとくもの、くらいの認識だったりするから。
山崎
本当に毎日わからないことばかりで、ライヴも埋まらないし、泣きたくなってきて「とんでもないことを始めてしまった・・」って1年目は落ち込むこともあったの。
それで私が「私は楽器も出来ないし、知識も無いし…そもそも音楽のお店をやりたいなんていうのが、間違いだったのかも。」って言ったことがあって。きっと、店を閉めた後に一緒に飲みに行ったりした時に話したんだと思うんだけど。
そしたらたいさんが「知識とかじゃなくて、みやちがみやちらしく、自然体でいることが、一番お客さんに響くんだと俺は思うよ。」って言ってくれたの。
その言葉に本当に救われて。今、10年目だけど、大変な事とかうまくいかない時とかいつも思い出す。
最初は楽器も触った事がないような人間がライヴハウスやるなんて言うのはダメなんだろうなって思ってたの。でも楽器も色々出来て、音楽の知識もすごくあるたいさんが、そうやって言ってくれたことが本当に励みになって、ずっと覚えてる。
佐々木
なるほど。全然言った記憶はないけれど。
山崎
ね、意外と言った人は覚えてなかったりするんだよね。
で、たいさん、すぐ辞めちゃうんだけど(笑)。
佐々木
(笑)。とにかく俺は続かない人なんだよね。バンドなんかでもすぐ辞めちゃう。
辞めるにあたっては諸事情あったんだけど、ま、キレイに言えは、当初の役割は果たしたかな、と(笑)。
山崎
ほんと、ほんと。1年間で私の知らない知識とかいろいろ教えてもらって、やっていける体制になった。まぁ、1年もいないけど(笑)。
佐々木
で、辞めたことで、俺自身どんどん変わって、次のステージへ進んでいけたから、お互いに良かった。
でも、ゆーてネクストサンデーにはお客さんとして、入り浸ってたよね。お酒飲めないから、カルピス牛乳オンリーで。
山崎
うん。だから常連さんともなじみが深いよね。
佐々木
ね。でね、これが今にも繋がるポイントなんだけど、俺は元々高校生の時とか、音楽でやっていきたいって思ってたんだけど、割とすぐあきらめちゃったの。あぁ、これは無理だって。それで、大人になってからは音楽は専ら聴く側で、自分で演ろうとかはなかったのね。MEMAIくんとのバンドも、すぐ抜けちゃって(笑)。
でもさ、結局ネクストサンデーに遊び来ると、みんな音楽をやってるじゃん。当たり前だけど(笑)。で、それをみてるとついつい、やってみたくなっちゃって。
真似してギター弾いてみたり、ちょっと出させてもらったり。つかず離れず、演る側でもいるはめになってしまって。
断続的に弾き語りにトライしたり、なんだかんだあったんだよね。それはやっぱり、ネクストサンデーという場所があったから。
それが今につながってるんだよね。
山崎
そうなの、そうなの。なんだかんだで、俺は何もやらない!と言い続けながら、何かをやっているという。
佐々木
年に1、2回、なぜか俺がライヴに出るという(笑)。
山崎
かといって、常に楽器を触っている訳でもないっていう、不思議な感じを何年も。
佐々木
あれは要するに、リスナーとして、その時々のマイブームがあるわけ。
例えば、おおはた雄一に出会って、なにこれ!?って衝撃受けて、ライヴ観た次の日におんなじモデルのギターを買ったり。まぁ、ギブソンはさすがに買えないから、ヤイリのコピーモデルとかなんだけど。んで、おおはたっぽい曲とギターを練習して、じゃあ作ったから、ライヴさせて下さい、みたいな。
で、すぐにブーム冷めて、また次のなんとか、、みたいな。マイスパレードを観た翌日に、アダムと同じゴダンのエレガットを買ったこともあった(笑)。
そういうのが年に2回くらいある(笑)。ハマると、自分で演ってみる。そしてライヴ、みたいな。
山崎
そうなんだよね。たいさんって、ブームが来ると本当にうぉぉーってそれに向かって突き進んで、気付くと終わってるの(笑)。
でも、Capsuleは大きかった気がする。今、たいさんがアイドルプロデュースやっている元になってるのは、やっぱりCapsuleの高揚からきている気がする。
佐々木
Capsuleは本当にデカかったね。
打ち込みとか高校出てからやめてたんだけど、Capsuleの2nd(*)に出会って、これもまた翌日にパソコンとキューベースSXを買いに行ったっていう(笑)。俺やる!って言って。まぁ、買うだけでやんなかったんだけど(笑)。 (*『cutie cinema replay』)
山崎
とにかく早いよね。その衝動からの行動が(笑)。
佐々木
すぐ、ローン組むっていう(笑)。とにかくローン組むことが大事ですよね。本当に。
山崎
あと、中田ヤスタカさんを見て、金髪にして来たことなかったっけ?
佐々木
いや、中田くんが金髪にしたのはもっと後だから...
俺が金髪にしたのは、仕事中にジュディマリのyoutube掘ってて、TAKUYAかっけぇぇ!ってなって、その日のうちに金髪にしたことが2回ある。
山崎
えっ、両方TAKUYAなの?
佐々木
両方TAKUYA(笑)。もう大好き。TAKUYAになりたい(笑)。
山崎
ウケるなぁ(笑)。
たいさんはとにかく、影響受けたらすぐそのスタイルになるよね。
佐々木
そうなの。主体性ないし(笑)。すぐ染まる(笑)。それでいい。
そんなこんなで、ね、何度も言うように、俺単独だときっと世間とか他者との折り合いがつけられず、内に籠って尻すぼんで終わってたと思うんだけど、”みやちレッスン”を受けたことで、そうやって人の輪の中でライヴをやるとか、あとそうだ、ペン大とかも行ったじゃない?
山崎
あぁ、行ってたね!菊地さん(*)の。(※サックス奏者、菊地成孔。ジャズ理論及びサックスの私塾「ペンギン音楽大学」を主宰)
佐々木
ね。ああいうのも俺一人だと、腰も重いし、行かなかったと思うの。
けど会話の中で、「俺、音楽好きだから勉強したいんだよね」ってなことを言うと、だったら、ペン大とか行ってみたらいいじゃんっていうのを言ってくれたり。
それで、実際受けてみて行ってみる、みたいなフットワークの軽さみたいなものも、みやちの影響がとてもある。
山崎
でもね、多分、これで、私がすごい出来る人間だったら、たいさんもそんなに影響を受けなかった気がする。
けっこう、私、ズッコケだから。
佐々木
あぁ。みやちの、「あちゃ〜」っていう、でも健気に楽しく生きてる姿を垣間見ることで、「そんな力まなくていいんだ、失敗してもいいんだ」と。ゆるんだところはある(笑)。
山崎
ね、私が間抜けな姿を見せながら、元気に生きてたから、それで良いのかなって思ったのかもね(笑)。
佐々木
そんなこんなで、人間・みやちの影響を受けつつ、音楽ともゆるく繋がりつつ、小屋に出入りしていて。
折々に落ち込むこととかもあって、もう二度と演る側には立たないぞ!と心に誓ったりもしながら(笑)。
で、あと出演してる素晴らしい演者さんからの影響も大きい。
山崎
うんうん。
佐々木
ふらっときて、観ることもあれば、みやちが俺の好みを知悉してるから、「この日絶対観た方がいいよ」って、誘ってくれることもあって。行ったら本当にすっごい良くて。生だから、余計インパクトもあって。今考えてみると、すごく良い環境にいたってことだね。あんまりそんな環境ないもんね。
そんでその中でもすごく影響を受けたのは、みぇれみぇれ君とか。
山崎
現在はオツベルさんですね。
佐々木
えっオツベルっていう名前になったの?
山崎
そうそう。
佐々木
あら!みぇれみぇれ君ってその前も違う名前だったよね。
山崎
くすくすさん。
佐々木
くすくす、みぇれみぇれ、オツベル!
なんかね、みぇれみぇれ君とつるうちはなさんは、やはり本当に影響がでかくて。
つるうちはなさんも、もともとみやちが教えてくれて。
山崎
そう、私も大好きだったし、たいさんの好きな音楽の要素がいっぱい詰まってる方だなぁと思って、お勧めしたの。
佐々木
最初はyoutubeを教えてくれて、すぐ俺、CD買いに行ったんだ。
そういうネクストサンデーをめぐる諸々が、今の自分のアイドルをプロデュースするってことにダイレクトにつながってて。
山崎
アイドルプロデュースはそもそもどこかから、話がきたの?
佐々木
そう、SNS上の友達から。その人は元々、プロジェクトを立ち上げるために一緒に出来る人をあれこれ探していて。
その中にたまたま俺もピックアップされて。
運営一緒にやりませんか、と。
もともとは運営だけだったんだけど、音楽もすごい好きだし、昔演ってたというのも知って、じゃあ曲も書いてくださいって。
山崎
アイドル運営に誘われた時は、アイドル自体に興味があったの?
佐々木
そもそもなんで俺がその彼にピックアップされたかっていうと、やっぱりSNSでアイドルの事をつぶやいたり、アイドルのコミュニティに入ってたりしたからで。
ご存知の通り、ささきは当時遅まきながらAKBにどハマりしてたのですよ。狂ったようにAKB漬けになっていた(笑)。で、界隈をSNSでうろちょろしてたわけ。
だから、声を掛けられたときは、俺がすごくアイドル好きっていう認識を彼は持ってたの。
山崎
そこはノリノリでやってみようって感じで始めたんだ?
佐々木
運営自体はそうだね。まぁ、面白そうだなって。
曲の話は最初は無かったけど、その彼が何かピンと来たらしく、ノせるのも上手な人で、絶対出来ますよ!って言ってくれて。
とはいえ、昔やってたのもノイズバンドだし、ネクストでやってたのも、ギターとかピアノと歌って感じだから、本当に出来るのかな?って。
アイドルの曲って言うのは、すごい緻密なアレンジに派手なトラック、キャッチーなメロディ…っていう感じで、求められる物がデカいわけ。以前やってた、旋律があるんだかないんだか、うにゃうにゃやってギター弾いて…っていうのでなく、ものすごくヴィヴィッドなものをキッチリ作らないといけないわけで。そんな経験が全くなかったから。でも試しに作ってみたら、なんだ、案外出来そうだぞって。
山崎
試しに作ったその1曲は、歌詞も自分で書いたの。
佐々木
試しに3曲作って、3曲全部自分で詞も書いた。
山崎
自分が演奏する目的とは全然違うでしょ。
ましてや若い女の子たちの歌う曲の歌詞を書くって言うのは最初は苦戦した?
佐々木
そこはね、あまりそういう風に考えなかった。
山崎
でも、若い子が歌って踊ることはイメージするでしょ?
佐々木
実際にグループが出来てからの曲はそういうことも考えたけど、最初の試作の3曲は、全然そういうのは考えずに単に言葉を書いた。
山崎
初めて自分の曲を、プロデュースしている女の子たちが歌ったのは何曲目なの?
佐々木
4曲目。
中毒性が高いと巷で評判の、、(笑)。あヴぁ、あヴぁ、あヴぁんだん〜♪
山崎
あぁ!あの曲凄いよね。気付くと歌ってる。
佐々木
わりとそうらしくて、非常階段のJOJO広重さんも、それを何度も言ってくださって。直接も言ってくださるし、ツイートもしてくださってて。
山崎
そうなっちゃうとすごいよね。いい曲だなって思っても、家で想い出せない曲って記憶から消えちゃうもんねえ。 じゃぁ、そこからはずっとたいさんが担当?
佐々木
基本はね。1曲だけ、橋田さんっていう超売れっ子作家で超マニアック且つ幅のあるサウンドを奏でるギタリストでボーカリストで、、って人が、提供してくれた曲あるんだけど。奇数拍子+変拍子の難しいやつ。
あと詞も、最果タヒさんとおっしゃる非常に高名な、現代詩を書かれる詩人の方が書き下ろしてくださったものがあったり。
ですが、基本は詞も、曲もほぼメインで。やってます。
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