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大久保あ、でね、多分ね、ここはじろちゃんも共感してくれると思うけど、心の中から何か表現としてとか、天から何かが舞い降りてくる系って一切信用しなくて。

佐々木絶対あり得ないですね。

大久保絶対あり得ない。曲ってのはね、「作る」って決めて、じゃどんなリズムパターンで、どんなキーで始めて…っていうね、もしくは、念頭にこういう人の曲、こういう調の曲、っていうのをある程度決めてね。

佐々木予測不能な何かが起こるとしたら、その後の話なんだよね。だから逆に不思議なのは、そういうファンタジーって一体どこで作られたんですかね?!

大久保それはきっとね、これは音楽だけじゃなくて美術でもそうだけど(註・大久保の本業は美術)、ある天才がいて、なんかこう…創った工程じゃなくして、なんかもう…タマゴのようなね、そこにあるべくしてあるようなものが名作だとか言うけど、、ま分かるけどそれも、、あれはなんかね、ヨーロッパからきた美術や音楽や芸術一般に対する、何か間違った日本人の解釈によるものだと思うよ。前にラジオで山下達郎さんと大瀧詠一さんも仰ってたけど、そんなのはあり得ない、んな訳ない。曲ってのはつくろうと思ってつくるんだよ!

佐々木なんつうかな…科学的に考えたら、だって普通にそうじゃないですか、あらゆるものって。それこそヨーロッパの芸術なんて、ディシプリンでしかないわけじゃないですか。

大久保そうですよ。

佐々木はっきり言って。

大久保全てそうですよ。全てちょっと前にあったものが更新されて更新されて、っていうことだと思う。

佐々木モーツァルトにしたってさ、何十分もの音の塊がドーンと出てきて、それを楽譜に写し取っていくとかっていうけどさ、それが逆に、その塊が出るっていうこと自体が、過去の遺産を完璧に紐解いて、自分で訓練を重ねて自分の中に叩き込んで…って、もうその脈々と受け継がれて洗練されてきたものを、アーカイヴィングされてきたものを自分の中に落とし込むっていうディシプリンがあるからこその、その塊であってね。

大久保例外なくそうだと思うよ。偉大なそういう作曲家って。

佐々木だって絵にしたって何だって全部そうな訳で。

大久保全部そうだよ。ロックで言うとビートルズだってストーンズだってみんな音楽オタクだからね。憧れのあの人みたいな曲作ろうっつって、それで作ってこうなったっていう。全部が必ずそういう関連性を持って、前に進んでる。だからそこのところを意識しない人はね、僕はダメだと思うよ。音楽やってる人は。

佐々木それって単純にだから、頭悪いなーって話じゃないですか。だからさっき音楽でも片付けでもなんにでも、洞察力が必要だって言ったのはそこで。そこら辺がわかんない人ってのは、やっぱ音楽どうこう以前なんですよね、はっきり言って。

大久保うん。

佐々木できるわけないじゃん(笑)。まさに昔の俺(笑)。

大久保(笑)。そうそう、ちょうどこの前ね、宮崎駿さんが…なんだっけあの、たくさん賞とった映画…

山崎千と千尋?

大久保そう!の時の、インタビューでね。外国の方の。最近はどうもディズニーの絵面も、ちょっと宮崎駿さんぽくないですか、ジブリっぽくないですかと。それに関してどう思われますか?って訊かれて、いや別に何とも思わない、と。僕は僕で、小っちゃい時に絵本や児童本に影響受けて、当時の自分が好きだった漫画とかに影響を受けて、そっから始めたんだと。だからたまたま自分はその先達のバトンを受け取っただけで、自分は何もオリジナリティなんて持ったことはない。その好きな人達がいることで今の自分いて、またそのバトンを受け継いでくれる人がきっといるわけで、例えばそれがディズニーの誰かわからないけれど、自分もその一端にすぎないわけで、その長い長いリレーの中の一人にすぎないからって。何か自分のオリジナルのものを生み出したなんて思ってないわけ。宮崎駿ほどの人でも、そういう風にちゃんと思うんだ!って、俺なんかちょっと安心して。それって普通なんだけどね。そう思わない?

佐々木うん!

大久保黒澤明だってみんなそうだよ。

佐々木みんなそう。

大久保みーんなそうだよね。ただその、データをたくさん持ってそれをどう押し引きするかってところの上手さとかはあるだろうけどさ。編集のね。

佐々木編集なんです。これもよく言うけど、自分は作曲家っていうより、DJだと思ってる。やってることの本質はDJ=編集なの。違いといえば、ありものの盤を使わずに、ネタをいちいち自分で仕込んでるっていうだけ。

大久保だからね、作曲ってのは誰でもできる。じゃまず試しに自分の知ってるコードが5つだったら、5つ弾いてみてよ。もうそれは曲だよ。

佐々木実際そういうアプリとかあるわけで。アプリでやるか、自分でやるかで。

大久保それをちょっと速く弾いてみなよ。ゆっくり弾いてみなよ。シャッフルで弾いてみなよ。三拍子で弾いてみなよ。ってだけのことだよ。

佐々木だから結局、今まさに言ってることって、数学的な操作なわけで。

大久保そう、そう。

佐々木はっきり言ってその実務的な手さばきと音楽の構造的な部分のほとんどって、そういう数字の操作なんですよね。

大久保そう!完全にそうだよね。

佐々木だからあのー、“そういうこと”に気付けるかどうかっていう洞察。数学的操作って、普遍的、一般的なものじゃないですか。つまり特段「音楽」どうこうじゃないわけ。自分に「音楽」の適性があるかないかとか、音楽的「才能」があるかないかとかっていう問題じゃなくて。だってさ、言っちゃえば「あんた俺なんかよりよっぽど勉強出来るじゃん!数学できるじゃん!」みたいな人とかいっぱいいるわけですよ(笑)。そもそも音楽なんてものの基本的な部分が、数学的構造物なんだってことに気付けさえすれば、ぜんぜんほんともう誰でも作れちゃうわけで、作曲なんかできちゃうわけ。自分は音楽からっきしダメで…って言ってる人の中にも、俺なんかよりよっぽどカチッといいものつくれる人、死ぬほどいっぱいいると思うんですよね。だから、そこの洞察に素でパッと辿り着ける人もいれば、僕みたいに時間のかかる、めちゃくちゃ勘の悪い人間もいるかもしれないけど。

4

山崎ちょっと話戻っちゃうけど、さっき言っていた、音楽でやっていきたいなぁとか漠然と中高とかで思ってて、でも曲作れないなって思って、とりあえずじゃぁ詞を書いておくとかはしないんだ?

佐々木詞は…僕の場合は特殊だと思うんだけど、音楽は本当に音(サウンド)のもので、基本的に言葉とかどうでもよかったから。片一方ですごい本とかも読んでたから、言葉の方は別に本読めばいいし、音楽は音楽っていう。うーん、詞を書くとかはない。唯一、清志郎だけは、言葉込みで感銘受けまくってた稀有な例としてあるけどね。あと岡村ちゃんもか。感銘とは違うけど(笑)

大久保あーそうなんだ。僕はね、単純にとにかく洋楽ばっか聴いてたから、歌詞ってところにほんとになんの重きもおいてなかった。

佐々木聴いてわかんないもんね、そもそも。

大久保そうなの。だから意味わかんないまま聴くのが自然になっちゃったから、それは今も日本語の歌を聴いててもあんまり歌詞が入ってこないっていうのは、歌詞を聴き取るってことを放棄して音とかメロディーとかばっか聴いてた弊害がね、今はあるんだろうけども…だからね、歌詞先に書くとかはやっぱまずないのよ。詞先ってのはまずない。

佐々木これね、絵画に置き換えると解りやすいんだけど、絵そのものの色合いとかトーンとかに感受性を刺激されるか、「何が描いてあるか?」っていうその“意味”の方に捉われちゃうか、ということとパラレルだと思うんだよね。これは「何」の絵です、っていう見方、、「何」の絵ってのは、要するに「子ども」が描かれてるとか「花瓶」が描いてあるとかね。「何が」描かれてるか?というのは、絵という現象そのものとは関係ないわけじゃん?絵というものに対した時に、まず何処にビシッとフォーカスが行くかというね。音楽聴いた時に歌詞とかメッセージっていう意味の部分に行っちゃう人ってのは、絵を見た場合にも、この「犬」の絵いいよね、みたいな。俺らは同じ絵をみても、その毛の艶だったりとか、独特な色合いだったり。そっちね。コード(和音)の話が何度も出てくるけど、コードって要するに色使いのことなんだよね。同じメロディでも、その背景にどんなコードを置くか、つまりどういう色使いで塗るかによって全然印象が違って、たぶん僕もおおくぼんも、どちらかというと「何を書くか」より「どう書くか」に刺激されるタイプ。必ずしも、「何」派、「意味」派を否定するものでは無いけれども。タイプが違う。

山崎なるほどー。

大久保そう、歌詞をね、あえて対比させて言うと、弾き語りの人達はどうしても歌詞に重きを置くし、僕らも別に書く以上は歌詞も書くけど。うーーん、でも、やっぱりどうしてもそこも数学的?に考えちゃうんだよね。サビの一番自分のピークのところでは、必ず口が一番大きく開く、“あかさたなはまやらわ”とかさ。う、とかではいかないように。う、だとウーーとかなって高い声とか出ないからさ。っていうことを考えたり。

佐々木つまりプライオリティーがね、、届けたいこの想い、とかよりも、プロダクトとしての構造の合理性とか、そっち側から見ちゃう(笑)。というより、本当は想いを届けるためにこそ、実は構造が大事。

大久保あとは、すごい秀逸な例でいうとバンプとかドリカムとかの、上手にこう、一番、二番と詞を追うごとに段々と物語が進んで行って…というのがあるけど、あぁいうものも僕はちょっとやる気がおきなくて。それよりも、曲の中で印象付く、力強い言葉を一つどこかに配置することによって、聴いてる人の耳がそこにバンと引きつけられた時に、何かしらの映像が浮かび上がる、その浮かび上がった映像はもしかしたらみんな違うかもしれない…とかそういうものがなんか好きだな。そういう歌詞が。だってずっと絵本とかラジオの物語を聴いてるような感じになっちゃうの。朗読のうしろで音楽が鳴ってるだけだよなーって感じになっちゃうと、やりたいこととはちょっと違う…かな。

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